2011年01月31日

舞台神聖祝祭劇《パルジファル》[マリインスキー・オペラ]

wagner.jpg 聖杯、聖槍、共苦―  ワーグナー本人が「舞台神聖祝祭劇」と名づけた《パルジファル》にはさまざまな象徴物や宗教的なメッセージがちりばめられている。だが、その意味をあれこれ考える前に、まずは無心に音楽に身を浸してみてはいかがだろう。お聴きいただく第3幕にはすべての理屈を越えた救いの調べが流れている。とりわけ、その中心に位置する〈聖金曜日の情景〉はワーグナー最晩年の到達点と言ってもよい。かつての愚者パルジファルが、「共苦の心によって悟りを開く」という予言のとおり、救いの徴である聖なる槍を携えて戻ってきた。世界の苦境と荒廃を表すような寂れた冬枯れの野に今や自然が蘇り、花が咲き匂う。寡黙な主人公と言葉を失った宿命の女クンドリーに代わって、聖金曜日の奇蹟を雄弁に言祝ぐのは老騎士グルネマンツ。神の恩寵を告げるバスの慈しみあふれる深々とした声を、壮麗なオーケストラが歌心いっぱいに彩ってゆく……。
 このとき、私たちも登場人物とともに、救いと癒しへの長い道のりを歩んできた感慨を味わうだろう。それも、ここに至る音楽の流れがあってこそだ。弦楽器中心のくぐもった響きと半音階のうねりでパルジファルの迷いと苦悩の旅路を描く〈前奏曲〉。やがて、雪融けを思わせるように柔らかい調べが涌き出し、光がしだいに射しこんでくる……。響きそのものがいわば、乾いた砂に水が沁みこむように、渇いた聴き手の心を潤し、頑なにこわばり閉ざされた利己心を柔らかく解きほぐして、外の世界に開いてくれるのである。
 こうして私たちは春の沃野から聖杯寺院の中に導き入れられることになる。抒情的な前半とは打って変わって、後半は劇的な展開がきわだっている。大伽藍に鳴り響く鐘の音が警報のごとく聖杯騎士団の苦患を伝える場面転換の行進曲。自らの死を願う聖杯王アムフォルタスのモノローグ。そしてすべてが行き詰まったところで、パルジファルが登場して、自らの聖杯王即位と世界の救済を宣言し、ドラマは大団円を迎えるのである。この第3幕、女声の歌は皆無に等しいが、前半をもっぱらリードする福音の語り部グルネマンツ、後半の独白で柔らかな嘆きから頑なな絶望と挑発の表現へと声を高めるバリトンのアムフォルタス、そして自らの心を覗き込むような前半の内省的な呟きと後半の毅然たる凛々しさの歌い分けがきわだつテノールのパルジファルというように、低音を軸にした声の饗宴は男声好きにはこたえられないだろう。さらに忘れてならないのは合唱とオーケストラ。とりわけ幕切れまでの後奏では、夢幻の味わいを醸す合唱ともどもオーケストラも目くるめく転調を重ねながら、高みに登りつめてゆく。このとき舞台では槍によるアムフォルタスの傷の治癒、光を放つ聖杯、平和の象徴として天井から舞い降りる鳩など、次から次へと奇蹟の光景が現出するのだが、視覚的な要素がなくとも、光彩陸離たる万華鏡のような響きが十分にこうした神秘を描きつくしてくれるはずだ。

文:山崎太郎 東京工業大学 教授


≪マリインスキー・オペラ2011来日公演情報≫
ルネ・パーペが出演!
パルジファルの公演情報はこちら

[日程]
2011年2月12日(土) 16:00 東京文化会館 「影のない女」
2011年2月13日(日) 14:00 東京文化会館 「影のない女」
2011年2月14日(月) 18:30 サントリーホール 「トロイアの人々」日本初演!
2011年2月15日(火) 19:00 サントリーホール 「ワーグナーの夕べ」
2011年2月16日(水) 19:00 横浜みなとみらいホール 「ロシア音楽の夕べ」
2011年2月18日(金) 18:30 NHKホール 「トゥーランドット」
2011年2月19日(土) 14:00 NHKホール 「トゥーランドット」
2011年2月20日(日) 14:00 NHKホール 「トゥーランドット」
詳しい公式ホームページへ
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掲載・オンエア情報[マリインスキー・オペラ]

2011年2月6・13日(日)12:00〜16:00
衛星デジタルラジオ放送局「ミュージックバード」
“オーディオファイルのためのディスクガイド” ワーグナーの世界1&2
ゲルギエフ指揮「パルジファル」
出演:東条碩夫さん
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※「ミュージックバード」をお聴きになるにはご契約が必要です。
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朝日新聞、掲載情報[マリインスキー・オペラ]

2011年1月30日(日)朝日新聞 朝刊
「トロイアの人々」シリーズB
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2011年01月28日

朝日新聞、掲載情報[マリインスキー・オペラ]

2011年1月28日(金)朝日新聞 朝刊
「トロイアの人々」シリーズ2
20110128asahi.jpg
画像をクリックするとPDFが起動して内容をご覧いただけます。
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グレギーナ、ガルージンの「トゥーランドット」[マリインスキー・オペラ]

ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団「トゥーランドット」(7/2 サンクトペテルブルグ)
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 圧倒的なトーランドット、精悍なカラフ、強靭でドラマティックなオーケストラ……すべての「強度」が完璧に溶け合い、最高のプッチーニ・オペラが実現されていた夜。歌手とマエストロの至芸に、これほど胸を打たれたことはなかった。そして、舞台とピットにいた音楽家全員が、この物語と音楽を心から愛していた。そのエネルギーの総和が、爆発物のような炎となって観衆を驚かせたのだ。大きな衝撃は、白夜という非日常的な体験もあいまって、しばらく耳から離れなかったほどだ。
 トゥーランドット役のマリア・グレギーナは、現在この「悪女」を歌わせたら右に出るものなしのハマリ役で、METを始め、スペインやドイツでも、複数の演出家のもとでトゥーランドットを歌っている。ゼッフィレッリ版で歌う彼女を、METのステージ映像で見たとき、華麗な高音とカリスマ的な存在感に驚いたが、マリインスキーでの生の歌声は想像を超えていた。強靭で鋭く、垂直にたちのぼり、その余韻はホール全体を豊かに包む。グレギーナ自身が「わたしの声は、三階席の一番後ろで聞くと一番よく響くのよ」と語っていたが、とにかく声の輪郭が他のソプラノより並はずれて大きいのだ。音域によってムラもなく、高音域のみならず、低音域でもジワジワとトゥーランドットの「凄み」を伝えてくる。まさに、本物のトゥーランドット!
そして、疲れを知らない! 一体どういう体力と精神力の持ち主なのだろう? トゥーランドットが祖先の悲劇を語る「この宮殿で」の幽玄な表現力はもちろん、凄かったのは、求婚者カラフに「三つの謎」を問うシーンだ。ソプラノにとっては緊張と苛酷さを最高度に強いるこのシーンで、グレギーナは全く揺らがなかった。余裕さえ感じさせるカラフへの「問い」の場面は、この夜のハイライトのひとつだった。
 対するカラフ役のウラディーミル・ガルージンは、脂の乗り切ったグレギーナに相応しいドラマティック・テノール。昨年のボリショイ・オペラでの狂気に満ちたゲルマン役(「スペードの女王」)が記憶に新しいが、プッチーニ・テノールとしても全てを兼ね添えていた。「泣くな、リュー」「誰も寝てはならぬ」などのハイライトでは、とにかく満場を瞬時に魅了してしまう。声楽的にはもちろん、演劇的な「ひらめき」があるのだ。精悍でロマンティックに甘さも感じさせる「誰も寝てはならぬ」は、この歌を格別に楽しみにしている観客にとっても、100%満足のいくものだったと思う。ラスト近く、動揺して威厳を失うトゥーランドットに、急にキスをするシーンもドキドキするほどよかった。
 『トゥーランドット』には、極端に古いものと新しいものが混在している。歴史設定としての「昔昔の中国」という「古さ」と、プッチーニの遺作に遺された和声的・構造的な「新しさ」だ。考古学的な時間と、未来的・モダニズム的な時間を、ゲルギエフは見事に融和し、音響化していた。実際、あまりに自然で素晴らしい音楽なので、心は自然に物語に集中してしまう。何より「書かれた物語」としての『トゥーランドット』に、ゲルギエフは深い愛着を持っているように思えた。『ボリス・ゴドゥノフ』や『戦争と平和』同様、オペラはしばしば「伝えなければならない物語」を伝える媒体の役目を果たす。トゥーランドットの音楽的な喜悦感は、ただ快楽的に流れるのではなく、しっかりとした「根」によって碇を下ろされていた。
 ラストシーンは、かつてゲルギエフがザルツブルクで採用したルチアーノ・ベリオ版ではなく、ハッピーエンドを強調するアルファーノ完全版が使われ、竜を思わせる華麗なヴィジュアルが美しい効果をもたらしていた。「竜」とは生命の輪廻と、永遠の繁栄をシンボライズしたもの。王子を受け入れ「愛」を選んだトゥーランドットに相応しい、祝祭的な喜びの場面だ。このように、終始一貫して音楽の邪魔をせず、的確なイメージで舞台に雅やかさをもたらしていた演出も、とても納得のいくものだった。

文:小田島久恵

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2011年01月27日

カウフマン、掲載情報[メトロポリタン・オペラ(MET)]

2011年3月号『MOSTLY CLASSIC (モーストリークラシック)』
世界を席巻するテノール、ヨナス・カウフマンのインタビュー
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こちらから立ち読みできます。

掲載情報[メトロポリタン・オペラ]

2011年新春特大号 『日経ビジネス Associe』
「大人の教養」特集 石戸谷結子さんのナビゲートでオペラを紹介。
一押しのカウフマンとMET日本公演が掲載されました。
2011nikkeiassocie.jpg

2011年01月26日

朝日新聞、掲載情報[マリインスキー・オペラ]

2011年1月26日(水)朝日新聞 朝刊
「トロイアの人々」シリーズ1
20110126asahi.jpg
画像をクリックするとPDFが起動して内容をご覧いただけます。
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2011年01月25日

『ようこそオペラ!』(加藤浩子著)出版のお知らせ

音楽評論家の加藤浩子さんによる『ようこそオペラ!』が発売されました。
ビギナーズ鑑賞ガイドとなっていますが、もちろんオペラ通にも楽しめる一冊となっています!
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¥1,680
単行本(ソフトカバー)
出版社: 春秋社
発売日: 2011年1月21日
春秋社のホームページにて購入できます
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2011年01月24日

連載(4)「文学が音楽にもたらすもの」[マリインスキー・オペラ]

連載(1)「文学が音楽にもたらすもの」
連載(2)「文学が音楽にもたらすもの」
連載(3)「文学が音楽にもたらすもの」



 音楽と文学の関係をヨーロッパにおいて辿るとすれば、それは必然的に教会、そして聖書へと行き着く。キリスト教は歌う宗教であった、といわれるように、識字率もかなり低かった当時の世界で、信仰は音楽のかたちで教会に、そして市井に響いていった。バロックの器楽が、声楽伴奏から独立したかたちで、楽器の声を自律的に響かせるようになったときも、それは言葉の痕跡をとどめるものだった。器楽はまず、歌われる言葉とともにあり、そこから歌詞のない声を歌いあげるようになった。つまりは、レトリックこそが音楽であった。
 マルティン・ルターが聖書のドイツ語訳を手がけ、それは近代ドイツ語の創始に繋がったが、16世紀の宗教改革を推進したかの偉才は、音楽をこよなく愛し、自ら作詞作曲を手がけて讃美歌を普及させた。プロテスタントの礼拝では、聖書が朗読され、説教で注釈が施され、人々は歌をうたってそれに応えた。ラテン語ではなく、ドイツ語で書かれたルターの教会歌は、ドイツ・コラールの源流となった。そして、教会カンタータは、レチタティーヴォふうに行われていたに聖書朗読、そして教会歌の多様な編曲をそのルーツとしている。そこへ18世紀に入る頃に登場するのが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハである。
 バッハは1685年にアイゼナッハで生まれ、聖ゲオルク教会で洗礼を受け、同教会附属ラテン語学校で学んだ。それはルターが在籍した学校でもあった。バッハは当然のように、ルターの著作を読んでいた。膨大な教会カンタータを挙げるまでもなく、バッハの音楽はルターにもとづく文学にその発想のひとつの根源をおいていたといっていい。
 さて、ここからバロックから古典派のオペラ、ロマン派の歌曲、さらに現代へと大きく流れを下っても、ヨーロッパの伝統からみれば、文学はつねに音楽に先立ってきた。民謡や労働歌にしても、かけ声などがそのまま節をつけて歌われるようになったものがほとんどだろう。それは、ヨーロッパにかぎらず、アジアの声明なども同じで、ちょうど聖書の朗読がレチタティーヴォを発展させたように、経文の朗誦が音楽となっていった。
 私たちの同時代をみても、芸術歌曲の創作の多くは、詩を手がかりに、その言葉を音楽化するように成立しているように思える。しかし、ポピュラー音楽のソング・ライティングについては、「音楽が先か、詞が先か」というのはよく問われることでもある。現在の日本のヒット・ソングに関していえば、メロディーがあり、リズムが決まり、アレンジが整ったところで、そこに言葉を付していくスタイルの創作が、実のところ圧倒的に多いようだ。流行のサウンド・デザインに、言葉を乗せて歌うというようなことが、作詞作曲を同じ作家が手がける場合であれ、分業で作詞作曲が行われる場合であれ、頻繁に起こっている。音楽にふさわしい言葉が選択されるのは、映像に音楽が付されるのと似たような成り立ちといえるだろう。結果としてどちらが前面に立つか、有機的に共存するかはさておき、言葉は音楽の意匠にあわせて編集される。そのほうが効率的な面もあるのだろう。
 しかし、すぐれた欧米のソングライターは、言葉から発想する作家が圧倒的に多いのではないか。ディヴィッド・フォスターが松本隆に語ったところでは、欧米では歌詞がつねに先に書かれ、音楽に合わせて歌詞をつけることはまずないという。
 現代日本のポップ・ソングは、もともと日本語から由来して旋律化したり、固有のリズムを導き出したりしたものではないがゆえに、音楽の服に言葉が身体を合わせるようにして、おしゃれを可能にしてきたのかも知れない。それは、滝廉太郎の歌曲の抑揚からみてもそうだ。その後に日本語固有の響きを探った、すぐれた作曲家や作詞家たちの果敢な創作は、やがて商業音楽のフィールドとは乖離してしまった。言葉に内在する、あるいは同期する音楽を歌うことから発したソングは、そうして言葉の力を弱めていく。先行するのが言葉の劇性や意志ではなく、情緒であることは潜在的な奥深さにも繋がるはずである。そうして詞と曲が全体として文学たり得るものであればよいのだが、多くの場合はしかし、言葉の意匠が音の衣装に追随することになった。
 さて、この2月に、ゲルギエフとマイリンスキー・オペラが体現する大規模な芸術は、ちょうど18世紀と21世紀の中間に位置する時期の意欲作ばかりである。音楽が文学を激しく求めていた時代の莫大な財宝といってもいい。ドイツ、フランス、イタリア、ロシア――それぞれの自国の言葉で謳歌された神話世界では、文学の言葉が音楽の言葉でさらに劇性を高めている。マリインスキー劇場が230年もの歴史を誇るといえば、バッハが亡くなって30年後から現在までの歳月を生きているということである。壮大な愛の物語をめぐる、その圧倒的な力と情熱をまえに、現代の私たちはなにを受けとることになるのだろう。


文:青澤隆明(あおさわ・たかあきら)
1970年、東京生まれ、鎌倉に育つ。音楽・文学をめぐる執筆、企画構成のほか、コンサートなどのプロデュースも多く手がける。「北海道新聞」「レコード芸術」「音楽の友」「音楽現代」「ミセス」ほかに寄稿。


≪マリインスキー・オペラ2011来日公演情報≫
2011年2月12日(土) 16:00 東京文化会館 「影のない女」
2011年2月13日(日) 14:00 東京文化会館 「影のない女」
2011年2月14日(月) 18:30 サントリーホール 「トロイアの人々」日本初演!
2011年2月15日(火) 19:00 サントリーホール 「ワーグナーの夕べ」
2011年2月16日(水) 19:00 横浜みなとみらいホール 「ロシア音楽の夕べ」
2011年2月18日(金) 18:30 NHKホール 「トゥーランドット」
2011年2月19日(土) 14:00 NHKホール 「トゥーランドット」
2011年2月20日(日) 14:00 NHKホール 「トゥーランドット」
詳しい公式ホームページへ
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掲載情報[メトロポリタン・オペラ(MET)]

*2011年3月号『音遊人』
スザンナ・フィリップスのインタビューとメトロポリタン・オペラ来日公演情報が掲載されました。
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掲載情報[マリインスキー・オペラ]

*2011年2月号『CHOPIN ショパン』
マリインスキー・オペラが紹介されました。
201102chopin.jpg
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2011年01月21日

トゥーランドットのオリジナル・ネイル![マリインスキー・オペラ]

ネイルクイックの“トゥーランドット”をイメージしたオリジナル・ネイル。
皆さん、お試しになられましたか?
早速、プロジェクト・チームの女性スタッフが行きました!
Nail_5587.jpg
上品で素敵ですね!

bnr_nailquick.jpg
▲中央、インフォメーション欄から詳細をご覧下さい。

nail_turandot.jpg
ストーンでトゥーランドット姫の豪華な冠をイメージした
オリエンタルでゴージャスなネイル!
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2011年01月20日

連載(3)「文学が音楽にもたらすもの」[マリインスキー・オペラ]

連載(1)「文学が音楽にもたらすもの」
連載(2)「文学が音楽にもたらすもの」

 さて、ベルリオーズはシェイクスピアを敬愛していたが、その戯曲は史劇にかぎらず、歴史的な意匠をもつ人物に、彼の同時代人の相貌を鮮やかに映し出すものだった。もちろん、普遍的な文学であれば、それは当然とも言えるが、演劇は社会装置のひとつでもあり、当代の風刺や批評の磁場であるがゆえに、自ずと当時の社会情勢や生活環境、流行した言説や風俗が、時事的にアップデイトされたかたちで随所に採り込まれる。そうして、観客の関心を、自らの時代に向けさせることで、非日常の劇空間は日常の祝祭たり得るわけだ。聴衆は歴史の鏡に安心して自らを投影し、その適度の距離が物語的想像力を育むことになる。
 トロイの木馬から少し離れて、シェイクスピア晩年の劇作とされる『テンペスト』を例にとってみよう。後世の音楽家の想像力を大きく掻き立てたあの傑作である。「海上の船」、「孤島」がその舞台であり、その島は妖精や魔女の子も含めて、魔術師プロスペローの術が支配している。難波してその島に着くのは、ナポリ王とミラノ公の一行である。権力闘争や人間の暴力は、いつの世も変わらない。この作品が晩年の作とされるのは、題材的にみれば、1609年のバミューダ島での遭難の記録が翌秋にいくつか出版されたことが、難破の題材へと劇作家の想像力を掻き立てた、という見解によるところが大きい。この作品は嵐の描写を含めて、当時の人々の関心が高かったこの遭難と新世界への期待、さらに魔術に寄せる当世の関心の高さを、シェイクスピア一座は巧みに採りこんでいる。
 さらに、老顧問官ゴンザーローが披露する理想郷のイデアは、1603年に英訳が出たモンテーニュの随想「食人種について」の影響によるものとみなされるが、これは作中で他の登場人物から皮肉られている。しかし、自然と文明、新世界や魔術に対する当時の関心が、この島をめぐる物語の社会的背景となっていることは確かだ。
そうして、ナポリ王一行と魔術の島の物語は、エリザベス朝の人々を、空想の舞台だけでなく現実の関心としても捉えていたわけである。寓話の色彩をもちながらも演劇空間は、社会と共振する文化装置であり得た。演劇は広場から始まったと言われるように、そもそも人々の集まる場所に現前したアクティヴな表現であった。オペラがいかに神話的な世界にキャンパスを広げようと、歌い手はまぎれもない人間であり、合唱は多く群集の象徴である。そして、それは聴衆の喜びと関心にひらかれている。
 総合芸術としてのオペラの前衛性は、その古典的な題材と意匠のうちに、当時そして現代においても普遍的な命題を、今日的に象徴しているところにある。だとしたら、ここに披露される大それた物語の懐は、その巨大さゆえに、いまもって私たちを渾然と包みこむに足るものだろう。

文:青澤隆明(あおさわ・たかあきら)
1970年、東京生まれ、鎌倉に育つ。音楽・文学をめぐる執筆、企画構成のほか、コンサートなどのプロデュースも多く手がける。「北海道新聞」「レコード芸術」「音楽の友」「音楽現代」「ミセス」ほかに寄稿。
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2011年01月19日

「影のない女」の演出家ジョナサン・ケント[マリインスキー・オペラ]

演出家ジョナサン・ケントが「影のない女」についてYOUTUBEで語っています。

『影のない女』
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール
指揮:ワレリー・ゲルギエフ 
演出:ジョナサン・ケント
※ジョナサン・ケントは現在、藤原紀香さん主演の「マルグリット」の演出もし、大変注目をされています。

≪翻訳≫

 (ジョナサン・ケント氏は、俳優および演出家としてキャリアを積み、演劇の世界で成功を収めた後、オペラの演出も手掛けるようになりました。このリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」は、彼がマリインスキー劇場で演出を担当した2作目のオペラです。)
 
私は2年前に「エレクトラ」の仕事で初めてマリインスキー劇場に来ました。その時は、ここがどのような劇場なのか、どんなことを期待できるのか、私にはよく分かりませんでした。マリインスキーの公演を見たことがありましたが、ここ、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場に来るのは、それが初めてだったからです。私も当然のことながら、マリインスキー劇場を実際に見て、その歴史を感じさせる佇まいに圧倒されました。オペラだけでなくバレエもですが、とにかく、非常にロマンチックで偉大な歴史的遺産を持った劇場なのです。しかし、それと同時に、私はここで働いている全てのアーティストたちが持っている目的意識にも、強い衝撃を受けました。彼らは、時には大変ハードな状況下での仕事を余儀なくされることもあるのですが、それにも関わらず、全員が常に高い目的意識を持って、誠心誠意仕事に打ち込んでいます。「エレクトラ」の仕事では、私は度々、当惑したり、まごまごしたり、ということがありました。というのは、ここではシステムも全く違いますからね。しかし最終的には、私は、この劇場と、ここで働く人たちのことを、この上なく称賛するようになり、この劇場が大好きになりました。

 ゲルギエフが指揮するリヒャルト・シュトラウスは、本当に素晴らしいです。極めてロマンチックで情熱的な解釈なのです。そして、「エレクトラ」では、ラリッサ・ゴゴレフスカヤとの共演がありました。彼女の右に出る歌手はいませんよね。彼女をはじめとする素晴らしいキャストを得て、ゲルギエフはとても喜んでいました。結果的に、この公演は、彼にとっても非常に良い経験になったと思います。その後、ゲルギエフと私は、次回公演の演目について相談しました。最初は「何か別のものを」という話でしたが、結局は「しばらくシュトラウス作品を続けてみてはどうか、もう少しシュトラウスを掘り下げてみようじゃないか」という結論に至りました。

 今回の演目「影のない女」は、演奏される機会が比較的少ない作品です。というのは、まず音楽の大部分が非常に難しく、演奏するには多大な力量が必要とされる作品だからなのです。ただ一人か二人のパートが難しいというのではなく、五人ものパートが極めて難しいのです。また、スコアも台本も実に複雑で難解です。ですから、この曲を演目とするのは、ある意味、「挑戦」だったわけです。しかし、以前に一度、ここで仕事をしたことがある私には、これは、マリインスキー劇場がきちんと結果を出せる「挑戦」であることが分かっていました。

 私はこのオペラが「とても難解な作品だ」と言いましたが、実は、このオペラの最後では、ある種の楽観性といったようなものが提示されていると私は思います。こうした楽観性は、リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールが「魔笛」にも見出していたものなのでしょう。そして、「魔笛」と同様、この作品にも一連の「試練」があります。バラクの妻と皇后、つまり、中心人物となる女性二人が、こうした「試練」を乗り越えていきます。そして、彼女たちは、最後に自分たちそれぞれのアイデンティティを確立するのです。この作品で私が興味深く感じるのは、二人の女性の生き方が取りあげられているという点です。二人の女性が自分たちのおかれた社会の中で、それぞれに与えられている役割を見つけようと葛藤します。そしてついには、彼女たちが自分の役割を見つけることで、アイデンティティを確立し、自己完結を達成するわけです。この点が私は大変面白いと思います。

ところで、「影のない女」が書かれたのは、皆さんもご存じのように、20世紀はじめのウィーンです。当時のウィーンは、知的探求と思想のるつぼでした。フロイト、ショーペンハウアー、ニーチェといった知識人たちが活躍していた、ヨーロッパの知的活動の中心地でした。この作品に出てくる数々のテーマは、こうした人々の理論を表しているとも言えます。例えば、「影」といのは、ユングの理論を表しているのです。そもそも「影」という概念自体が、ユング的な発想ですね。いや、この概念はユングの論文以前からもあったわけですが。いずれにしても、同じ考え方です。つまり、アイデンティティを確立するためには、人はいつか自分の闇の部分、すなわち「影」と対峙し、それを受け入れなければならないのです。

 私は、この21世紀はじめという現在においても、社会における女性の役割について考察することは、とても興味深いことだと思います。どのようにして女性は、仕事を持つ人生を選ぶ人と、子供を産み育てることを選ぶ人に分かれるのか。これは実に興味深い議論ですね。そして、これと同じ議論が、今から100年も前に、シュトラウスとホフマンスタールの間で、彼らなりの考えに基づいて交わされていたわけです。

 このオペラは、二つの世界から構成されています。一方は、おとぎ話の世界です。まあ、このオペラには、実際、おとぎ話そのもの、といった部分もあるのですが。その世界は、皇帝や皇后がいる神秘的な空想の世界です。もう一方の世界は、バラクと彼の妻がいる現実の世界です。こちらの世界では、平凡で、つらく、みじめな生活が営まれています。それは、バラクの妻があこがれたような、ロマンチックで精神的な満足が得られる空想の世界とはかけ離れた世界です。ストーリーは二つの世界の間を行き来しますが、第三幕では、これら二つの世界が合わさった形になります。

 (皇后とバラクの妻の対決を見ているうちに、聴衆はたいてい、どちらかの側につくと言われていますが、ケントさんは個人的には、どちらの女性に、より共感を覚えますか。)
 
二人の女性は、それぞれ自分なりに、アイデンティティを追い求めて葛藤しています。どちらに対しても、とても共感するので、私は、どちらか一方が、もう一方よりも特に好きだということはありません。



≪マリインスキー・オペラ「影のない女」≫ 
2月12日(土)16:00 東京文化会館
2月13日(日)14:00 東京文化会館
詳しい公演情報はこちらから

2011年01月18日

リストランテASO×山本益博とのコラボ企画![マリインスキー・オペラ]

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マリインスキー・オペラの来日を記念して、ミシュラン二つ星の名レストラン・リストランテASOの阿曽達治シェフが、この日のための特別ランチメニューをご提供。
オペラへの造詣も深い料理評論家・山本益博氏が、「トゥーランドット」を中心に、オペラの楽しみ方を軽妙にトークする、何とも贅沢なランチタイムをお楽しみいただけます!

日時:2011年2月4日(金)11:30〜14:00
場所:リストランテASO(東京都渋谷区代官山)
締切り:1月31日(月)

内容・お申込みはこちらから

山本益博(やまもとますひろ)
1948年(昭和23年)東京生まれ。料理評論家。
2001年、フランス政府より「農事功労勲章シュヴァリエ」を受勲。
モットーは「美味しいものを食べるより、ものを美味しく食べたい」
大学の卒論が昭和の名人と呼ばれた落語家桂文楽の評伝で、評論の対象は料理のほか、音楽、スポーツと幅広い。
「音楽で逢いましょう」や「ロマネ・コンティとモーツァルト」などのエッセイもあり、最新刊は「イチロー勝利への10ヶ条」。

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連載(2)「文学が音楽にもたらすもの」[マリインスキー・オペラ]

 これらの歌劇の舞台はすべて昔のことだが、国民主義のロマン派音楽が高揚するのは、諸国が戦争に向かう時代の空気と同調している。神話伝承や民謡に民族や国民のルーツを探るのは、そのアイデンティティが脅かされていることの反照にほかならない。そして、物語の愛は決まって死という極限状況により、いやおうなく高められるものである。
 装置としての劇空間は、壮大をきわめて神話的だ。ということはつまり、現世的な、つまり同時代な制限をもたずに、堂々と壮麗に音楽を描き、人間心理の劇を突き詰めることができる。そのようにして、大作曲家たちは、文学的な象徴性という意味で、空前のスケールの叙事的な舞台をもつことで、激動する時代の人間の叫びや本質的な命題を、深く強烈に探り出そうと試みた。
19世紀から20世紀への転換期に書かれたこれら壮大な歌劇は、もちろん旧時代の舞台設定で、往時を懐かしんでいたわけではない。そこには、時代の聴衆たちが、関心を逸らすのではなく強く向けるべき生々しい人間の劇があった。そして、それはオペラという極度に誇張された演劇装置であるがゆえに、その巨大な叙事詩のスクリーンに、いつも愛と死、そして人間の選択の問題について、近代を生きる個々人の心理を投影していた。それは、現代においても、本質的には変わらない人間の心理と真実を追究するものであるだろう。
 しかし、それはなにも近代の大作曲家のオペラにかぎったことではない。ギリシャ悲劇からしてすでに、その題材はギリシャ神話の世界によっていたのだから。
 三大悲劇詩人のひとりとされるアイスキュロスが紀元前428年に上演したとされる三部作『オレステイア』は、ギリシャ神話上の大戦争、トロイア戦争の英雄であるギリシャ軍総大将アガメムノーンの帰還から始まる。ギリシャ演劇は神話世界をテーマに展開したし、紀元前8世紀末の吟遊詩人ホメーロスによって成立したと想定される『イリーアス』と『オデュッセイア』はそれ以降も大きく西欧文学の想像力の源泉となった。
 紀元前1世紀、古代ローマ最大の詩人ウェルギリウスの遺稿とされる『アエネイス』は、『イリーアス』と『オデュッセイア』に範をとった壮大な叙事詩で、ラテン文学の最高傑作とみなされる。ダンテが『神曲』で、自らの詩のルーツと称えるのが、かの師ウェルギリウスその人である。ベルリオーズが『トロイアの人々』を作曲するのは、1856年から58年のことだ。「トロイアの占領」、「カルタゴのトロイ人」の二部の台本は、ウェルギリウスの叙事詩『アエナイス』にもとづき、作曲家自身がフランス語で書いている。全曲初演はしかし、まずドイツ語で、それから英語の版がフランス語に先立った。いずれにしても、その神話世界は、ギリシャ、ローマの古典語から、西ヨーロッパの言語で捉えなおされ、ベルリオーズ渾身の音楽がそれを堂々と19世紀末に響かせることになった。

文:青澤隆明(あおさわ・たかあきら)
1970年、東京生まれ、鎌倉に育つ。音楽・文学をめぐる執筆、企画構成のほか、コンサートなどのプロデュースも多く手がける。「北海道新聞」「レコード芸術」「音楽の友」「音楽現代」「ミセス」ほかに寄稿。

連載(3)「文学が音楽にもたらすもの」[マリインスキー・オペラ]
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2011年01月17日

カウフマン来日記念盤CDリリース第1弾[メトロポリタン・オペラ(MET)]

世界で一番旬なオペラ・スター!来日記念盤第1 弾!
〜情熱のテノール〜カウフマン・ヴェリズモ・アリアス〜
Verismo_Arias_Kaufmann.jpg
『2011 年、ついにカウフマンが8年ぶりに来日!』

ドイツ出身の正統派テノールとして、欧米で絶大な人気を誇るヨナス・カウフマン。最新アルバムはヴェリズモ・オペラのアリア集です。2011 年は8 年ぶりとなる来日が実現!6 月にメトロポリタン歌劇場、9 月にはボローニャ歌劇場とバイエルン国立歌劇場の来日公演にそれぞれ帯同、カルメンの準主役ドン・ホセやドン・カルロ、ローエングリンの主役を歌う予定です。
2011年1月26日発売 ¥2,800
詳しい情報はこちらから


≪来日情報≫
●メトロポリタン・オペラ(MET) 2011来日公演●
ヴェルディ:歌劇《ドン・カルロ》
ドン・カルロ:ヨナス・カウフマン、フィリッポII 世:ルネ・パーペ、
エリザベッタ:バルバラ・フリットリ 他
ジェイムズ・レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
2011 年6 月10 日、15 日、18 日
METの来日公演公式ホームページはこちらから
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2011年01月13日

連載(1)「文学が音楽にもたらすもの」[マリインスキー・オペラ]

 『影のない女』、『トロイアの人々』、『パルジファル』、そして『トゥーランドット』。ワレリー・ゲルギエフ率いるマリインスキー・オペラが、年明け2月中旬の一週間、東京で現出させるのは、まさに多様にして壮大な劇空間である。リヒャルト・シュトラウス、ベルリオーズ、ワーグナー、プッチーニが渾身の力で描いた神話的世界が、ゲルギエフとマリインスキー・オペラの壮大な情熱によって響き出すわけだ。彼ら大作曲家たちは、これらの作品で、自らの時代よりも、はるかに古典的な物語の劇世界を求め、そこから当代きっての尖鋭的な音楽を創出した。
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 神話や伝説はつきせぬ象徴と暗喩に充ち、そこにはさまざまな解釈の余地がある。古典を読み解くのは、解釈の伝統とともにそれぞれの時代の読みによるわけで、だからこそ、いつまで普遍的ななにかがその表面に明滅する。言ってみればこれらのオペラは、題材的には時代劇よりもさらに古い意匠を纏うが、音楽の表現がその心理や劇性を新たに読み解くことで、彼らの同時代にとって切実な訴えかけを行っていたわけだ。古典劇の現在的演出は今日でもさかんに行われるが、その演出の最重要部分を、最先端の音楽語法が担っていたということになるのだろう。
 実際のところ、オペラの舞台設定の読み替えは昨今も流行のひとつとなっているが、ときにそれは過剰に前面に立って、音楽とのバランスを欠くことにもなりがちである。しかし、ゲルギエフとマリインスキー・オペラが舞台美術とともに上演する『影のない女』も『トゥーランドット』も、正攻法で作品の壮大な物語に強く肉薄していくはずだ。
 それにしても、あっけにとられるくらいに、空前のスケールをもつ歌劇ばかりである。
 リヒャルト・シュトラウスは、ホフマンスタールの象徴性に充ちた寓話劇に挑み、霊界の王の娘と人間界の皇帝の結婚をめぐる愛の物語を描いた。シェイクスピアを敬愛するベルリオーズは、ウェルギリウスの詩にもとづき、ギリシャ神話をベースに国家の存亡と個人の愛を大叙事詩に謳いこむ。ワーグナーは、中世スペインの騎士団へ想像力を飛ばし、キリスト教の聖槍と聖杯の伝説を内包した「舞台神聖祝典劇」を最後の楽劇として遺す。プッチーニは、古の北京へと想像力を馳せて、舞台をオリエンタルな趣味に彩り、究極の愛について問いかける。
 さらに、「ロシア音楽の夕べ」では、リムスキー=コルサコフの『ムラーダ』、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』、ボロディンの『イーゴリ公』からの名場面が、チャイコフスキーの序曲「1812年」、ショスタコーヴィチの第5交響曲とともに披露される。『ムラーダ』は、はるか昔のレトラの町を舞台に、王子と謀殺された婚約者のムラーダ姫が永遠の愛で結ばれるまでの物語である。『ボリス・ゴドゥノフ』はプーシキンの戯曲にもとづくムソルグスキーの台本で、16世紀末から17世紀初頭、ロシア動乱の時代の皇位継承をめぐる権力抗争をテーマにしている。『イーゴリ公』は、スターソフの原案にボロディン自身が台本を書いて、12世紀末キエフ公国分裂時代に遊牧民と戦う愛国の士を描いた。いずれも歴史的な、あるいは寓話的なスクリーンに、壮大な人間の劇を映し出している。

文:青澤隆明(あおさわ・たかあきら)
1970年、東京生まれ、鎌倉に育つ。音楽・文学をめぐる執筆、企画構成のほか、コンサートなどのプロデュースも多く手がける。「北海道新聞」「レコード芸術」「音楽の友」「音楽現代」「ミセス」ほかに寄稿。

連載(2)へ 「文学が音楽にもたらすもの」

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2011年01月12日

ネイルクイックのオリジナル・ネイル![マリインスキー・オペラ]

ネイルクイックとのタイアップ企画!
トゥーランドットのをイメージしたオリジナル・ネイルを展開中!
bnr_nailquick.jpg
▲中央、インフォメーション欄から詳細をご覧下さい。

nail_turandot.jpg
ストーンでトゥーランドット姫の豪華な冠をイメージした
オリエンタルでゴージャスなネイル!

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