2010年09月30日

《トロイアの人びと》作曲の経緯と上演史、そして日本のベルリオーズ受容における日本初演の意義について

森 佳子(音楽学)

berlioz.jpg ベルリオーズは生涯に3つのオペラ―《ベンヴェヌート・チェリーニ》(1838年初演)、《ベアトリスとベネディクト》(1862年初演)、そしてこの「超大作」である《トロイアの人びと》を残した。《トロイア》は1856年から58年にかけて作曲され、1863年にやっとパリで初演の運びとなったが、第T部「トロイアの占領」はカットされ、第U部「カルタゴのトロイ人」のみが上演された。残念なことに、ベルリオーズの在命中に全曲上演は叶わず、1890年にようやくカールスルーエにおいてドイツ語版で行われた(二日間に渡る上演)。しかしそのことは一体、何を意味しているのか。

 《トロイア》に至るまでの経緯を簡単に説明しておこう。19世紀中頃におけるパリのオペラ界は大変保守的であり、参入することはベルリオーズにとっても困難であった。劇場ディレクターたちはロッシーニやマイヤーベーアなどの「巨匠」を規範とした作品を好み、オペラ座ではオベールやアレヴィ、アダンといった作曲家が幅を利かせていた。アダンと同い年であるベルリオーズは悔しがっただろうが、それでもなお、当時の流行とは全く異なるモデルにこだわり続けた。すなわち彼はグルックの演劇性、ヴェーバーの緻密なオーケストレーション、スポンティーニの自然な軽快さを手本にオペラに取り組むことになる。しかし結局、第一作である《ベンヴェヌート》の初演はオペラ座で成功出来なかった。

 このような苦労を経て、ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人の勧めもあり、ようやく1856年に《トロイア》の作曲が始まった。ベルリオーズはこの作品にシェイクスピアへの憧れを託し、他2作とは異なる斬新なアイディアを取り入れた。台本はウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』を基に彼自身が書いたが、それはヴァーグナーに匹敵するほど壮大かつ深淵であった。また彼は作曲の際、虚飾に満ちたアリアの概念を捨て、なるべくデクラメーションによってドラマを進行させるようにした。もっとも本質的に「ナンバー・オペラ」である《トロイア》の音楽モティーフは、ヴァーグナーの厳格なライトモティーフと異なり、各場面のイメージを想起させるに過ぎない。しかしそれは、対位法などを駆使した説得力のある方法により、まるで18世紀のグルックが19世紀に蘇ったことを思わせた。

 しかしながら、この《トロイア》をオペラ座で初演することは出来なかった。結局、革新的なテアトル・リリックが初演を引き受けたが、壮大なこの作品を上演するには劇場が小さく、演出面で困難をきたすことは明らかであった。また劇場付き合唱団やオーケストラも、満足のいくものではなかった。そうした事情によって、作品は作曲者自身によってT部とU部に分断され、U部(第3〜第5 幕にあたる)のみが独立して、5幕構成となった「カルタゴのトロイ人」が書き下ろしのプロローグとともに上演された(ちなみに、本来2幕構成のT部を単独で上演する場合は3幕となる)。さらに部分的なカットが初演前や21回におよぶ上演中に行われ、歌手の技量を超えた部分などは削除された。ちなみに彼の『回想録』の中の苦々しい記憶によれば、10箇所ほどであったという。それにもかかわらず評判は悪くなく、ベルリオーズにはある程度の収入になったようである。

 だが残念なことに、この初演以来定着してしまったT部かU部の「単独上演」の習慣は、そのまま長い間引き継がれることになる。またその他にも、全曲の短縮版(長い作品を一夜で上演するために大幅な削除あるいは変更を加えた版)など様々な上演形態が続いた。しかし第二次世界大戦後になると、ようやくT部、U部を通して上演することが普通になる。ちなみに初めての一日による完全上演(カットなし)は、ベルリオーズ没後百年の1969年5月に、スコティッシュ・オペラ(ギプソン指揮)によってグラスゴーで行われたが、これは英語版であった。その同じ年の9月に、コヴェンド・ガーデン(デイヴィス指揮)がフランス語版でロンドンにおいて完全上演している。

 このように《トロイア》をT部、U部通して上演する習慣はそれほど古いものではなく、これまで日本になかったのは全く不思議ではない。しかしながら日本において、ベルリオーズ受容そのものはかなり早い時期から行われていた。そもそも日本人の洋楽熱は教養主義に基づくもので、フランスものとしては「高尚路線」であるベルリオーズが、明治末期より注目されていたことは想像に難くない。大正9年頃には次第にベルリオーズの音楽記事が増え、昭和4年に《幻想交響曲》が新交響楽団(現N響)の演奏(近衛秀麿指揮)で日本初演された後、《ローマの謝肉祭》《ファウストの刧罰》なども演奏されるようになった。昭和11年の「音樂新潮」1月号にはベルリオーズ特集が組まれ、《トロイア》(第T部、第U部の単独版)もここで大きく紹介されている。そしてついに昭和49年(1974年)に、「カルタゴのトロイ人」が読売交響楽団(若杉弘指揮)によってコンサート形式で初演された。しかしすでに触れたように、通し版とT部あるいはU部の単独版が本質的に異なることは明らかだ。すなわち、今回のマリインスキー・オペラ(ゲルギエフ指揮)によるT部、U部の通し上演は、コンサート形式ではあるものの本邦初演にあたり、日本の洋楽史における重要な一ページとなるのは間違いないだろう。



posted by Japan Arts at 15:07 | マリインスキー・オペラ2011>NEWS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。