2011年01月13日

連載(1)「文学が音楽にもたらすもの」[マリインスキー・オペラ]

 『影のない女』、『トロイアの人々』、『パルジファル』、そして『トゥーランドット』。ワレリー・ゲルギエフ率いるマリインスキー・オペラが、年明け2月中旬の一週間、東京で現出させるのは、まさに多様にして壮大な劇空間である。リヒャルト・シュトラウス、ベルリオーズ、ワーグナー、プッチーニが渾身の力で描いた神話的世界が、ゲルギエフとマリインスキー・オペラの壮大な情熱によって響き出すわけだ。彼ら大作曲家たちは、これらの作品で、自らの時代よりも、はるかに古典的な物語の劇世界を求め、そこから当代きっての尖鋭的な音楽を創出した。
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 神話や伝説はつきせぬ象徴と暗喩に充ち、そこにはさまざまな解釈の余地がある。古典を読み解くのは、解釈の伝統とともにそれぞれの時代の読みによるわけで、だからこそ、いつまで普遍的ななにかがその表面に明滅する。言ってみればこれらのオペラは、題材的には時代劇よりもさらに古い意匠を纏うが、音楽の表現がその心理や劇性を新たに読み解くことで、彼らの同時代にとって切実な訴えかけを行っていたわけだ。古典劇の現在的演出は今日でもさかんに行われるが、その演出の最重要部分を、最先端の音楽語法が担っていたということになるのだろう。
 実際のところ、オペラの舞台設定の読み替えは昨今も流行のひとつとなっているが、ときにそれは過剰に前面に立って、音楽とのバランスを欠くことにもなりがちである。しかし、ゲルギエフとマリインスキー・オペラが舞台美術とともに上演する『影のない女』も『トゥーランドット』も、正攻法で作品の壮大な物語に強く肉薄していくはずだ。
 それにしても、あっけにとられるくらいに、空前のスケールをもつ歌劇ばかりである。
 リヒャルト・シュトラウスは、ホフマンスタールの象徴性に充ちた寓話劇に挑み、霊界の王の娘と人間界の皇帝の結婚をめぐる愛の物語を描いた。シェイクスピアを敬愛するベルリオーズは、ウェルギリウスの詩にもとづき、ギリシャ神話をベースに国家の存亡と個人の愛を大叙事詩に謳いこむ。ワーグナーは、中世スペインの騎士団へ想像力を飛ばし、キリスト教の聖槍と聖杯の伝説を内包した「舞台神聖祝典劇」を最後の楽劇として遺す。プッチーニは、古の北京へと想像力を馳せて、舞台をオリエンタルな趣味に彩り、究極の愛について問いかける。
 さらに、「ロシア音楽の夕べ」では、リムスキー=コルサコフの『ムラーダ』、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』、ボロディンの『イーゴリ公』からの名場面が、チャイコフスキーの序曲「1812年」、ショスタコーヴィチの第5交響曲とともに披露される。『ムラーダ』は、はるか昔のレトラの町を舞台に、王子と謀殺された婚約者のムラーダ姫が永遠の愛で結ばれるまでの物語である。『ボリス・ゴドゥノフ』はプーシキンの戯曲にもとづくムソルグスキーの台本で、16世紀末から17世紀初頭、ロシア動乱の時代の皇位継承をめぐる権力抗争をテーマにしている。『イーゴリ公』は、スターソフの原案にボロディン自身が台本を書いて、12世紀末キエフ公国分裂時代に遊牧民と戦う愛国の士を描いた。いずれも歴史的な、あるいは寓話的なスクリーンに、壮大な人間の劇を映し出している。

文:青澤隆明(あおさわ・たかあきら)
1970年、東京生まれ、鎌倉に育つ。音楽・文学をめぐる執筆、企画構成のほか、コンサートなどのプロデュースも多く手がける。「北海道新聞」「レコード芸術」「音楽の友」「音楽現代」「ミセス」ほかに寄稿。

連載(2)へ 「文学が音楽にもたらすもの」

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