2011年01月19日

「影のない女」の演出家ジョナサン・ケント[マリインスキー・オペラ]

演出家ジョナサン・ケントが「影のない女」についてYOUTUBEで語っています。

『影のない女』
台本:フーゴー・フォン・ホフマンスタール
指揮:ワレリー・ゲルギエフ 
演出:ジョナサン・ケント
※ジョナサン・ケントは現在、藤原紀香さん主演の「マルグリット」の演出もし、大変注目をされています。

≪翻訳≫

 (ジョナサン・ケント氏は、俳優および演出家としてキャリアを積み、演劇の世界で成功を収めた後、オペラの演出も手掛けるようになりました。このリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」は、彼がマリインスキー劇場で演出を担当した2作目のオペラです。)
 
私は2年前に「エレクトラ」の仕事で初めてマリインスキー劇場に来ました。その時は、ここがどのような劇場なのか、どんなことを期待できるのか、私にはよく分かりませんでした。マリインスキーの公演を見たことがありましたが、ここ、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場に来るのは、それが初めてだったからです。私も当然のことながら、マリインスキー劇場を実際に見て、その歴史を感じさせる佇まいに圧倒されました。オペラだけでなくバレエもですが、とにかく、非常にロマンチックで偉大な歴史的遺産を持った劇場なのです。しかし、それと同時に、私はここで働いている全てのアーティストたちが持っている目的意識にも、強い衝撃を受けました。彼らは、時には大変ハードな状況下での仕事を余儀なくされることもあるのですが、それにも関わらず、全員が常に高い目的意識を持って、誠心誠意仕事に打ち込んでいます。「エレクトラ」の仕事では、私は度々、当惑したり、まごまごしたり、ということがありました。というのは、ここではシステムも全く違いますからね。しかし最終的には、私は、この劇場と、ここで働く人たちのことを、この上なく称賛するようになり、この劇場が大好きになりました。

 ゲルギエフが指揮するリヒャルト・シュトラウスは、本当に素晴らしいです。極めてロマンチックで情熱的な解釈なのです。そして、「エレクトラ」では、ラリッサ・ゴゴレフスカヤとの共演がありました。彼女の右に出る歌手はいませんよね。彼女をはじめとする素晴らしいキャストを得て、ゲルギエフはとても喜んでいました。結果的に、この公演は、彼にとっても非常に良い経験になったと思います。その後、ゲルギエフと私は、次回公演の演目について相談しました。最初は「何か別のものを」という話でしたが、結局は「しばらくシュトラウス作品を続けてみてはどうか、もう少しシュトラウスを掘り下げてみようじゃないか」という結論に至りました。

 今回の演目「影のない女」は、演奏される機会が比較的少ない作品です。というのは、まず音楽の大部分が非常に難しく、演奏するには多大な力量が必要とされる作品だからなのです。ただ一人か二人のパートが難しいというのではなく、五人ものパートが極めて難しいのです。また、スコアも台本も実に複雑で難解です。ですから、この曲を演目とするのは、ある意味、「挑戦」だったわけです。しかし、以前に一度、ここで仕事をしたことがある私には、これは、マリインスキー劇場がきちんと結果を出せる「挑戦」であることが分かっていました。

 私はこのオペラが「とても難解な作品だ」と言いましたが、実は、このオペラの最後では、ある種の楽観性といったようなものが提示されていると私は思います。こうした楽観性は、リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールが「魔笛」にも見出していたものなのでしょう。そして、「魔笛」と同様、この作品にも一連の「試練」があります。バラクの妻と皇后、つまり、中心人物となる女性二人が、こうした「試練」を乗り越えていきます。そして、彼女たちは、最後に自分たちそれぞれのアイデンティティを確立するのです。この作品で私が興味深く感じるのは、二人の女性の生き方が取りあげられているという点です。二人の女性が自分たちのおかれた社会の中で、それぞれに与えられている役割を見つけようと葛藤します。そしてついには、彼女たちが自分の役割を見つけることで、アイデンティティを確立し、自己完結を達成するわけです。この点が私は大変面白いと思います。

ところで、「影のない女」が書かれたのは、皆さんもご存じのように、20世紀はじめのウィーンです。当時のウィーンは、知的探求と思想のるつぼでした。フロイト、ショーペンハウアー、ニーチェといった知識人たちが活躍していた、ヨーロッパの知的活動の中心地でした。この作品に出てくる数々のテーマは、こうした人々の理論を表しているとも言えます。例えば、「影」といのは、ユングの理論を表しているのです。そもそも「影」という概念自体が、ユング的な発想ですね。いや、この概念はユングの論文以前からもあったわけですが。いずれにしても、同じ考え方です。つまり、アイデンティティを確立するためには、人はいつか自分の闇の部分、すなわち「影」と対峙し、それを受け入れなければならないのです。

 私は、この21世紀はじめという現在においても、社会における女性の役割について考察することは、とても興味深いことだと思います。どのようにして女性は、仕事を持つ人生を選ぶ人と、子供を産み育てることを選ぶ人に分かれるのか。これは実に興味深い議論ですね。そして、これと同じ議論が、今から100年も前に、シュトラウスとホフマンスタールの間で、彼らなりの考えに基づいて交わされていたわけです。

 このオペラは、二つの世界から構成されています。一方は、おとぎ話の世界です。まあ、このオペラには、実際、おとぎ話そのもの、といった部分もあるのですが。その世界は、皇帝や皇后がいる神秘的な空想の世界です。もう一方の世界は、バラクと彼の妻がいる現実の世界です。こちらの世界では、平凡で、つらく、みじめな生活が営まれています。それは、バラクの妻があこがれたような、ロマンチックで精神的な満足が得られる空想の世界とはかけ離れた世界です。ストーリーは二つの世界の間を行き来しますが、第三幕では、これら二つの世界が合わさった形になります。

 (皇后とバラクの妻の対決を見ているうちに、聴衆はたいてい、どちらかの側につくと言われていますが、ケントさんは個人的には、どちらの女性に、より共感を覚えますか。)
 
二人の女性は、それぞれ自分なりに、アイデンティティを追い求めて葛藤しています。どちらに対しても、とても共感するので、私は、どちらか一方が、もう一方よりも特に好きだということはありません。



≪マリインスキー・オペラ「影のない女」≫ 
2月12日(土)16:00 東京文化会館
2月13日(日)14:00 東京文化会館
詳しい公演情報はこちらから
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